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教師による体罰がなくならない理由は「体罰に感謝する」から

みなさんは体罰を受けたことありますか?

 

近年ニュースでよく取り上げられる体罰「こんなに話題に上がって見聞きしているはずなのに、どうして教師は体罰を止めないんだろう?」

こんな疑問を持ったのは私だけではないはず。

 

実は教師による体罰がなくならないのにはやっかいな理由が絡んでいます。

今回はそのことについて自身の経験も踏まえて語っていきます。

体罰をしてしまう理由は

教師が体罰をしてしまう理由は
「自分の行っている指導を体罰だと認識できないこと」

ではなぜ体罰だと認識できないのでしょうか。ここに体罰がなくならない、本当の理由があります。

教師も過去に体罰を受けていた

数十年前の日本では体罰が当たり前でした。遅刻したら水の入ったバケツを持たされ廊下で反省させられる。部活の試合で少しミスをすればゲンコツを食らわされ、逆らえば鉄の棒でケツバット。猛暑の中で喉が渇いても精神を鍛えることを理由に「水を飲むな」と言われる。最近の部活で水を飲めるのは当たり前になったけれど、昔は飲んではいけないとされていました。

このように数十年前と今とでは環境が大きく異なり、今では体罰と言われるものも認められていたんです。

そんな環境で今の教師がすくすく育ってきた。その教師たちが当時の体罰をどう捉えているのでしょうか? 

体罰に感謝してしまった教師たち

『教育』『指導』という言葉を振りかざして体罰が行われ、体罰を受けた子供は最終的に、体罰に【感謝】するのです。

 「は?」と、今の若い人は理解できないかもしれません。日本人特有の努力美礼賛です。

  • 「今の自分があるのは○○先生が厳しく指導してくださったからだ」
  • 「あの厳しい日々を潜り抜けたからこそ私はここにいられる。ありがとう先生。」
  • 「あのとき殴ってくれたから自分は目覚めることができた。」

と感じてしまう。洗脳とも言えるでしょうね。

 教師は自身が経験した過去の厳しい指導への感謝から、自分の行おうとしている指導を「体罰」として捉えられず、「ありがたい厳しい指導」と捉てしまっています。

 「厳しい指導は自分のためになった。この経験を教え子にも伝えよう」

迷惑な話ですね。しかし、こうして体罰がなくならず未だに行われてしまっているのです。 

私の体罰の経験談

小学生の頃、ミニバスケットをやっていました。その部活の監督がまさに厳しい指導を行っており、「水飲み禁止」「ケツバット」などは日常化。当時の私はある程度監督を恨んでましたよ。

でも、中学校にあがり、バドミントン部に入った私は恨むどころか感謝しだしました。

バドミントン部では、毎日校舎周りを 競争の形が走らされていました。バスケット部で鍛え上げた体力により毎回1年生の中で上位。

先輩の指導はミニバスのときの鬼監督と比べたら圧倒的に楽で、そのため他の人たちと差をつけることで体力や忍耐力をアピールできた。そして先輩から認められ、他の一年生を置いて年上の人たちの練習に参加。

こうして思ってしまったのです。

 

「今自分がここにあるのは小学校のときに厳しく指導してくれた監督のおかげだ」と。

 

体罰をした監督へ感謝した瞬間です。

 この当時はまだ体罰問題が浮き彫りになっていなかったので、私は小学校の頃に受けた指導を、「ありがたい厳しい指導」と捉えていました。

しかし、高校に入りニュースで体罰問題がよく浮上してくるのを見て、思ってしまった、「この程度が体罰か?甘いな。」と。はじめはそう思っていたが、ニュースに関するコメントを見ているうちに思い知らされました。

 

この考えが危険なんだと。

 

かくして人生の途中で、世間のいう『体罰』という言葉の意味を認識できた。よかった。

 

体罰を受けて育ってきた人はそれを体罰だと思わず、むしろ「感謝されるべき厳しい指導」と捉えてしまう。

「今はつらいかもしれないけど、これはあなたのためなんだ。数年後あなたが感謝するぐらい、正しい指導なんだよ。俺も当時はわからなかったが、今になって分かる」

途中で気付けたらいいのですが、気付けないまま教師になってしまった人が近年の体罰問題を起こしているのです。 

 

時代とともに『当たり前』というのは変わっていくもの。しっかり今の『当たり前』を認識し、そしてそれを鵜呑みにせずに考えてみることが大切ですね。

あなたのその指導、本当に体罰ではないと言えますか?